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札幌高等裁判所 昭和52年(ネ)232号 判決 1983年1月27日

控訴人・附帯被控訴人(被告)

北海道

被控訴人・附帯控訴人(原告)

吉村松雄

ほか一名

主文

一  原判決中、控訴人(附帯被控訴人)北海道の敗訴部分をいずれも取消す。

二  被控訴人ら(附帯控訴人ら)の控訴人(附帯被控訴人)北海道に対する請求をいずれも棄却する。

三  被控訴人ら(附帯控訴人ら)の控訴人(附帯被控訴人)北海道に対する附帯控訴をいずれも棄却する。

四  訴訟費用(控訴費用、附帯控訴費用を含む。)は第一、二審を通じて被控訴人ら(附帯控訴人ら)の負担とする。

事実

当事者双方の求めた裁判、主張及び証拠関係は、次のとおり付加し、別紙「当事者の求めた裁判」及び「当事者の主張及び証拠関係」に各記載するほかは、原判決事実摘示のとおりである(但し、原判決二七枚目裏一行目に「萩野憲祐」とあるのを「荻野憲祐」と訂正する。)からこれを引用する。

なお、訴外有限会社田中牧場(本件と併合して審理された昭和五二年(ネ)第二二九号事件(原審札幌地方裁判所昭和四九年(ワ)第三〇三三号事件)の控訴人、同年(ネ)第二六〇号事件の附帯被控訴人であつたが、被控訴人らとの間において裁判上の和解が成立した。以下、訴外田中牧場という。)は乙第二八号証の一ないし七を提出し、右は古沢憲一が昭和五二年一一月二六日本件事故とは異なる別の事故現場を写した写真であると付陳し、当審証人古沢憲一の証言を援用した。

理由

第一  当事者、事故の発生、道路状況等

一  争いのない事実

被控訴人らと控訴人北海道との間においては、次の事実は争いがない。

原判決事実摘示記載請求原因(一)、(二)の事実

同(四)1(1)のうち、路肩の目的、効用が、故障車等の非常駐車及び車両の一時的な停車の用に供すること、車両の走行に必要な側方余裕を確保すること、道路の主要構造を保護することにあること、

同(四)1(2)のうち、本件事故現場の道路が深さ約七メートルの沢に土管を埋め、その上に砂利の土を盛つて作られたものであること、道路南側が約七メートル下の谷に下る斜面になつていたこと、

同(四)1(3)のうち、宇野(訴外宇野良雄)が対向車とすれ違う際、ハンドルを左にとられたため、右ハンドルを切ろうとしたができなかつたこと、

同(四)2(3)イのうち、二股分岐点から東側の道路両側が道路とほぼ同じ高さの平坦地になつていること、その外側が林であること、北側の林が二股分岐点あたりから路肩に接近していること、南側の林が二股分岐点から東方約五メートル位まで続いていること、

同(四)2(3)ロの事実、

同(四)2(3)ハのうち、本件事故現場の道路端、路肩部分、路肩の外側部分、南側平坦地、南側斜面等に草が生えていたこと、

同(四)2(3)ニのうち、沢地の西方の本件道路南北両側が同じ高さの平坦地で、その南側平坦地には本件道路に面して二棟の建物が建つていたこと。

二  本件道路の状況

成立に争いのない甲第八、第九号証の各一、二、第一一号証、乙第四号証の一、二(同号証の二は一から六まで)、第六号証、第一〇号証の一ないし一〇、第一一号証の一、二、第一二号証の一ないし五、第一三号証の一ないし三、第一四号証の一ないし一〇、第二二号証、丙第一号証、第二号証の一ないし三、第三、第四号証、第六号証の一ないし三、第七号証の一ないし六(甲第一一号証、乙第一一号証の一、二、第一二号証の一ないし五、第一三号証の一ないし三、第一四号証の一ないし一〇は原本の存在についても争いがない。)、原審証人落合久吉、同桜岡幸助、同中村恵治、原審、当審証人宇野良雄、同古沢憲一、同佐藤正の各証言(但し、以上の全証人につき後記認定に反する部分を除く。)、原審における検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。

1  本件道路は、北海道浦河郡浦河町の国鉄日高本線浦河駅前から国道二三六号線を様似郡様似町方面へ海岸沿いに約六・五キロメートル東進した地点を起点とし、同所から東方内陸部を通り広尾郡広尾町を経由して広尾郡大樹町を終点とする全長七三・三キロメートルの道道二九九号線(路線名浦河・大樹線)であり、北海道知事が昭和四五年八月二二日道路法七条一項に基づき、告示第二、一二五号をもつて道道の路線の認定をしたものであるが、大樹町から先は行止まり区間のあるいわゆる不通過道路であつた。本件事故当時、本件道路は、浦河町の前記起点から約一一キロメートルの区間はアスフアルト舗装の片側一車線であるが、それから先は未舗装の砂利道であり、沿線一帯には広い平坦地があり、未開発地域も存在していた。本件事故現場は、右起点から一九・〇二キロメートルのところにある未舗装の歩道、車道の区別のない一車線道路上である。右舗装道路の幅員は平均約五・五メートル、未舗装道路の幅員は平均約四メートルであつた。

2  本件事故当時における本件事故現場の概要は図面(原判決添付別紙図面)記載のとおりであり、有効幅員は三・八メートル、路肩幅員は南北とも約〇・一ないし〇・二メートルで、路肩には後記のとおり草が繁茂し、有効幅員の部分と明瞭に区別し得る状況であつた。そして、図面<1><2>間の二四・五メートルの道路面下にあたるところには、もと南北に深さ七・四メートルの沢があつたが、沢底に外径一・三メートルの土管を埋設し道路を南北に横断する形状にマンホールが施工され、その上に土、砂、砂利等の混合土が盛土されて道路が形成され、右道路両側端からの斜面は、南北とも三〇度の勾配をなしていた。右盛土部分の道路地盤が他の個所に比して特に軟弱で崩壊し易いものであつたことを窺わせるに足りる証拠はない。

3  本件事故現場付近の草の生えていない部分の幅員は三・八メートルで、路肩には、本件事故の約一ケ月前に道路管理者(北海道室蘭土木現業所浦河出張所)によつて実施された草刈り後に成長した〇・二から〇・三メートルのスゲ、ムラサキツメ草等の雑草類が繁茂し、さらにその外側から沢に至る斜面には、〇・三メートルから〇・八メートルに成長したオオヨモギ、エノコロ草、フキ等の雑草類が一面に亘つて繁茂していた。

4  本件事故現場付近一帯の道路は、本件事故直前の昭和四八年七月一三日に道路管理者がモーターグレーダーを一往復使用し、路肩を除く路面の凹凸を地均しして平坦にし、雨水を道路両側に排水するためかまぼこ状に緩やかな横断勾配を形成する、いわゆる不陸整斉作業を実施していたので、道路面の形状は平坦で緩やかなかまぼこ状の横断勾配をなし、道路中央部分と道路両端部分との高低差は〇・一五ないし〇・二メートルであつた。また、一車線道路のため、車両の通行によるタイヤの摩擦によつて道路中央部分の両側がやや低くなつていた。

5  本件事故現場の東西約三〇〇メートルの区間は、一直線の極めて見通しの良い道路で、後記のとおり本件事故車と対向車が交差した地点から東へ約一〇メートルの道路南側には、南東方面へ通ずる道路との二股分岐点があり、同所から東の大樹町方面の道路南側は道路面とほぼ同じ高さの平坦地となつており、道路寄りに雑草が繁茂し、さらにその外側に多数の樹木が林立し、また右道路北側は、路面からやや高くなつた斜面をなし、道路沿いに雑草が繁茂し、その北側に多数の樹木が林立し、本件事故現場へ続いている。本件事故現場の南北斜面から西方は、道路の両側とも道路面とほぼ同じ高さの平坦地で、南側斜面に続く平坦地上には、浦河郡浦河町字上杵臼九四九番地所在の鎌田牧場上杵臼第二分場の二棟の建物があり、主として道路南側沿いに多数の電柱が一定の間隔を保つて立つていた。

6  大樹町方面から浦河町方面に向つて本件事故現場に接近する自動車運転者にとつては、以上説示のような道路両側の状況であるため、道路前方及び両側、特に南側の位置、形状、幅員等につき細心の注意を払つて運転することが要求されるのであり、右注意義務を遵守する限り、遅くとも二股分岐点の約一〇メートル手前で前記斜面の存在に気づくことが可能であつた。しかし右注意を怠るときは、斜面の存在を見落して手前の平坦地と同様の地形がそのまま連続しているものと誤認する恐れはないとはいえない。

7  本件事故現場から東方の大樹町寄りには六、七戸の民家が散在するのみで、付近の人口は四、五〇名に過ぎず、本件事故現場の一日当りの車両通行量はせいぜい五、六〇台で、専ら近隣の住民によつて利用され、前記斜面の存在は住民全体に熟知されていた。かかる実情のためもあり、図面<1>付近の道路北端に小学校の存在を示す警戒標識が設置されていたほかには、斜面の存在を表示する標識等はなく、また路外への転落、脱輪等を防止するための防護柵等の施設も設けられていなかつた。しかし、本件事故現場を通行する近隣住民から、これまで道路管理者や所轄警察署に対し、右設置の要望がされたことは全くなく、定期的に巡回パトロールを実施していた道路管理者や警察署も格別その必要を認めなかつた。

8  本件事故現場から東方には特に正規の待避所は設置されていなかつたものの、避譲場所として、東へ約一〇メートルの道路南側に二股分岐点の取付道路、また事故現場から東へ約五〇メートルの道路北側に上杵臼小学校へ通じる取付道路がそれぞれあつたから、本件事故現場付近を対向する車両は、右避譲場所を有効に利用することによつて、安全かつ確実に交差することができたのである。本件事故現場付近において、かつて車両の転落事故は一度もなく、ただ相当離れた浦河町寄りの本件道路上で路肩の崩落による車両の転落事故等が発生したことはあつたが、本件事故現場の道路状況とは何ら関係がない。

9  本件事故現場付近の道路は一車線で車幅制限、速度制限のない比較的狭隘な未舗装の道路であるから、対向車両が交差する際には、一方が最寄りの避譲場所で待機するか、あるいは停車ないし最徐行する等の措置により安全運転を励行することが不可欠である。本件事故現場は、本来対向車両が互いに三、四〇キロメートルもの速度を保持したまま交差することを予定していないのであり、右速度で通過することは極めて危険で重大な事故を招来する蓋然性が高いのである。

第二  本件につき控訴人北海道の責任の有無を判断するについて、まず本件事故に至るまでの宇野の本件事故車の運転状況について判断する。

前顕各証拠(但し、証人については後記認定に反する部分を除く。)及び原本の存在並びに成立に争いのない甲第一二ないし第一九号証を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  運転者宇野は、本件事故当時専修大学在学中の学生で、昭和四八年七月東京の学徒援護会の斡旋により夏期休暇の間訴外田中牧場でアルバイトに従事することになり、同月一三日同訴外人の会社事務所(本件事故現場から浦河町方面に向つて本件道路を進行し、途中から分岐した取付道路を通つて同訴外人事務所へ到る。その間の距離は約二キロメートルである。)に到着し、早速同日午後自ら同訴外人所有のジープを運転してこれに数名のアルバイト学生を同乗させ、本件道路へ出て事故現場を通り事務所から約三キロメートル大樹町方面に進んだ地点付近にある採草地に出かけ、午後五時頃まで牧草の積上作業に従事した後、再びジープを運転して帰宅した。運転者宇野は、当時普通運転免許を取得してから五年経過していたが、その間時たま普通乗用車を運転する程度で、特にトラツクは二トン車を一〇回位運転した以外には運転経験がなかつた。

(二)  翌七月一四日は、午前九時頃から午後三時頃まで事務所のある牧場内の乾燥場から約一〇〇メートル離れた厩舎二階に牧草を運搬する作業に従事したが、その際、運転者宇野は、農事責任者落合久吉の指示に従い、本件事故車(普通貨物自動車ダンプ、積載量四、〇〇〇キログラム、車両重量三、六二〇キログラム、総重量七、七八五キログラム、車長五・六三メートル、車幅二・一メートル、車高二・三八メートル)を合計七、八回往復運転した。しかし、本件事故車のような大型ダンプトラツクを運転するのは前記のとおり初めてであり、不慣れのため後退運転中誤つてバツクミラーを損壊した。同日は、その後午後五時過まで放牧中の馬を厩舎に入れる仕事を手伝い、午後一二時頃就寝した。

(三)  宇野は、同月一五日午前四時頃起床して約二キロメートル離れた牧場内で馬の調教を見物し、午前六時頃一たん宿舎に帰つて仮眠し、午前七時半頃起床して朝食を取つた後、農事責任者落合久吉の指示により本件事故車を運転し、亡忠雄を含む学生六人を同乗させて前記採草地に赴き、積上げた牧草に被せたシートを取払い、上段、下段の各採草地で順次牧草の拡散作業に従事し、午前一一時半過頃午前中の作業を終了し、本件事故車に他の学生とともに乗込んだ。その際、宇野は運転席に、亡忠雄は他の二名と荷台前方に、二名が運転席横に、一名が荷台後方に座つた。

(四)  宇野は、同日午前一一時四五分頃本件事故車を運転して前記採草地から本件道路に入り、本件道路を東から西に向け時速約四五キロメートルで進行し、前記二股分岐点の手前約九五メートル地点に至つた際、進路前方約一七五メートル地点に桜岡幸助運転の軽四輪乗用自動車(車幅一・三メートル)が時速約四五キロメートルで進行して来るのを認めたので、アクセルから足を放して時速約四〇キロメートルに減速し、二股分岐点の手前約二六メートルの地点でやや左にハンドルを切つた。その際、宇野は、本件事故車の幅員は大体一・八メートル前後で、このままの状態で進行しても互いに避譲、一時停止、あるいは最徐行等の措置を講ずるまでもなく、路肩を通行せずに有効幅員内を適当な車間距離を保持したうえ、安全に交差することが充分に可能であると判断した。なお、宇野は、前記のとおり以前に本件事故現場を通行した体験から、道路の幅員、路面の形状、土質、道路両側の概略は認識しており、本件事故現場の両側に深い沢があることまでは明確に認識していなかつたものの、右付近がその東側及び西側よりも低くなつていることは、雑草の繁茂状況等の外観から認識していた。

(五)  一方、対向車を運転していた桜岡幸助は、地元民で事故現場の状況を知悉しており、約一〇〇メートル手前で本件事故車を発見したが、路肩を通行するまでもなく有効幅員内でそのまま安全に交差できるものと即断し、それ以上特に左ハンドルを切らずに進行した。宇野は、徐々に左ハンドルを切りながら時速約四〇キロメートルで進行するうち、当初の予想に反して左車輪を路肩一杯に乗り入れ、図面<1>から二・七メートル手前の地点で対向車と約〇・五メートルの車間距離を保つて辛くも交差し終えたが、その直後約二・七メートル進行した<1>点で左前車輪を路肩外に脱輪させ、急速右にハンドルを切ろうとしたが自由が効かず、その直後に左後車輪も路肩外に脱輪させて本件道路に沿いつつ次第に左方向に傾きながら約一九・三メートル進行した地点で左前部を南側斜面前方の崖に激突させ、南側斜面上を一回転したうえ七・四メートル下の図面<転>地点に落下させた。

(六)  ところで、本件事故現場の有効幅員は三・八メートルであるのに対し、本件事故車の車幅は二・一メートル、対向車の車幅は一・三メートルであつたこと、本件道路は、未舗装の砂利道で中央部がやや高くなつていたこと、本件事故現場の南北両側が他の部分よりも低くなつていることは運転者宇野は承知していたこと、その他本件事故現場付近の位置、形状等に鑑みると、自動車運転者としては、二股分岐点の取付道路付近で避譲し、あるいは一時停車しまたは少くとも最徐行して道路左側に寄つたうえ、対向車と交差すべき注意義務があるものといわなければならない。

(七)  しかるに、運転者宇野は、元来運転経験が浅く、本件事故車の運転及び車幅等の特性に習熟していなかつたうえ、慣れない牧場作業に従事して肉体的に相当疲労していたことが重なり、交差に際しては本件事故車を僅かに減速したのみで、有効幅員内を簡単に通行し得るものと安易に判断し、対向車との車間距離に気を取られてしまい本件事故車左車輪の位置に全く注意を用いないまま進行したため、前記のとおり本件事故を惹起したものである。

以上の事実が認められ、右認定に反する前顕各証人の証言は採用できない。右認定事実によれば、運転者宇野に本件事故車の運転について過失があつたことは明らかである。

第三  控訴人北海道の責任

被控訴人らは、本件事故は、本件事故現場の路肩がその本来の目的、効用に照らし安全性を欠除していたこと及び転落事故の発生を未然に防止するための防護施設あるいは道路標識が設けられていなかつたことが原因となつて発生したものであるから、本件道路の設置または管理に瑕疵があつたものというべきであり、控訴人北海道には国家賠償法二条に基づく損害賠償責任がある旨主張するので判断する。

思うに、道路管理者が道路の設置及び管理に際し、交通の危険を防止するためいかなる程度、内容の道路構造を保持すべきか、及び当該道路につき防護施設、道路標識を備うべきかについては、考えられるあらゆる危険の発生を未然に防止すべきことを基準として、これを一律的、画一的に決定することはできないのである。すなわち、一口に道路といつても、例えば交通頻繁な市街地の道路と僅かの交通量しかない過疎地の道路とでは道路としての機能、効用に著しい相違の存することは自明のことだからである。

従つて、一般に道路の設置、管理に瑕疵があるか否かは、道路の存する地域的、場所的環境、道路の構造、地形、利用の程度、内容及び範囲、気象状況等諸般の事情を総合的に判断したうえ、当該道路につき通常予想される危険の発生を未然に防止するに足りる安全性を備えているか否かを基準として決定しなければならない。

以上の観点から本件事故現場付近の道路について設置、管理に瑕疵があつたか否かについて検討するに、前顕各証拠によると、前記設示のとおり、本件道路は、浦河町の内陸部を通り広尾町を経由して大樹町に至る全長七三・三キロメートルの道道二九九号線であり、大樹町から以速は行止まり区間のあるいわゆる不通過道路であり、浦河町の起点から約一一キロメートルの区間はアスフアルト舗装された片側一車線であるが、それから先は未舗装の砂利道で、沿線一帯に広大な平坦地を擁し、右起点から約一九キロメートルのところに位置する本件事故現場付近は、未舗装の歩、車道の区別のない一車線道路であり、交通量の少ない過疎地域における道路交通の用に供することを目的としているものである。本件事故現場付近は、有効幅員三・八メートル、路肩幅員各〇・一ないし〇・二メートルであつて、道路の構造自体には格別問題はなく、また直近の場所に正規の待避所ではないが、対向車との交差に際して使用し得る避譲場所がある。

本件事故直前の昭和四八年七月一三日にモーターグレーダーによつて道路整備がされた結果、本件事故当時における道路面の形状は平坦でかまぼこ状の横断勾配をなし、道路中央部分と道路両側部分との高低差は約〇・一五ないし〇・二メートルであり、車両通行によるタイヤの摩擦により道路中央部分の両側がやや低くなつてはいたが、道路の状態は良好であり、格別交通の障害となるような路面の凹凸、路肩の崩落等は存在しなかつた。また、本件事故現場の東西約三〇〇メートルの区間は一直線で極めて見通しが良く、前記斜面以外の道路両側は道路面とほぼ同じ高さの平坦地であるが、図面<1>と<2>の道路両側端から南北に延びる斜面はいずれも三〇度の勾配をなして深さ七・四メートルの沢底に達しており、本件事故当時、路肩部分には〇・二から〇・三メートルの、また斜面には〇・三から〇・八メートルの雑草類が一面に繁茂していた等の地形のため、大樹町方面から進行して来る自動車運転者が右斜面について道路両側とも道路とほぼ同じ高さの平坦地であると誤認する恐れのあつたことは否定し得ないものの、前方及び左右の道路状況に通常の注意を払つて運転する限り、遅くとも二股分岐点の約一〇メートル手前で斜面の存在に気づくことは十分に可能であつた。さらに、本件事故現場付近は、大樹町寄りに六、七戸の民家が散在するのみの典型的な過疎地域であり、一日当りの車両通行量は五、六〇台で、専ら地理、地形を熟知している付近住民によつて利用されていたのがその実情であり、右現場付近では、未だかつて路肩の崩壊、崩落、損傷による車両の転落事故等の交通事故が発生したことはなかつた。本件事故の発生した七月は、年間を通じて最も気象条件が安定した時期であり、本件事故前豪雨、地震等の災害のため特に地盤が軟弱になつていたことを窺わせるに足りる資料はない。

以上の諸事情及び第二において認定した諸事情をも加えて、総合的に判断すれば、自動車運転者が当然に払うべき通常の注意義務を遵守する限り、本件事故現場を大樹町方面から浦河町方面に向つて西進する自動車が本件事故現場から転落する危険性はないものといわなければならない。

そうすると、本件事故現場の路肩が本来有すべき安全性を欠如していたものとは認められず、また防護施設、道路標識等を設置して危険防止措置を講じなかつたことをもつて、本件道路の設置、管理に瑕疵があるものということはできない。従つて、被控訴人らの控訴人北海道に対する請求は、爾余の点について判断するまでもなくいずれも理由がない。

第四  結語

以上のとおりであるから、被控訴人らの控訴人北海道に対する請求は理由がないから、いずれもこれを棄却すべきところ、これと趣旨を異にする原判決は不当であつて、控訴人北海道の控訴は理由があるから、控訴人北海道敗訴の部分を取消し、被控訴人らの請求をいずれも棄却し、被控訴人らの控訴人北海道に対する附帯控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 安達昌彦 渋川満 大藤敏)

別紙

当事者の求めた裁判(控訴人北海道及び被控訴人ら)

(控訴人北海道)

一 昭和五二年(ネ)第二三二号事件

(一) 原判決中、控訴人北海道の敗訴部分を取消す。

(二) 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二 昭和五二年(ネ)第二六〇号事件

本件附帯控訴をいずれも棄却する。

(被控訴人ら)

一 昭和五二年(ネ)第二三二号事件

本件控訴をいずれも棄却する。

二 昭和五二年(ネ)第二六〇号事件

(一) 原判決中、附帯控訴人らの敗訴部分をいずれも取消す。

(二) 附帯被控訴人北海道は附帯控訴人らに対し、各金二、一九一万六、六九七円及びこれに対する昭和五〇年九月二〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも附帯被控訴人の負担とする。

当事者の主張及び証拠関係(被控訴人ら)

第一 主張

1 本訴において、被控訴人らは、本件事故車の同乗者亡吉村忠雄(以下、亡忠雄という。)の遺族として、訴外田中牧場に対しては、訴外宇野良雄(以下宇野という。)の運転上の過失を理由として自賠法三条に基づき、控訴人北海道に対しては道路の設置、管理の瑕疵を理由として国家賠償法二条に基づき、それぞれ損害賠償を求め、両者は民法七一九条一項にいう共同不法行為の関係にあると主張している。

仮りに、本件事故の発生が宇野ないし対向車運転者の運転上の大きな過失に基因するとしても、道路管理者が道路標識等により沢の存在ないし道路が狭隘であることを認識し得るような措置あるいは路肩の通行が危険であることを示す措置を講じていれば、宇野が原判決添付別紙図画(以下図画という。)二股分岐点と<2>の間で対向車とすれ違うことはなかつた(二股分岐点より東方の道路で停止または徐行してすれ違つたはずであり、仮りに右道路で本件事故当時と同じ四〇キロメートルを僅かに減速しただけで対向車とすれ違つたとしても、二股分岐点より東方の道路は幅員が四・一五メートルであるから、道路外に車両を落輪させることはなかつたであろうし、道路外に落輪させたとしても、二股分岐点より東方道路の南側部分は平坦地であるから、横転することはあり得ない。)ことは明白である。そうであれば、本件事故車の転落という事態は起きなかつたのであるから、亡忠雄の死亡と本件道路管理者の道路の設置、管理の瑕疵との間には、相当因果関係があるといわなければならない。

2 本件において、宇野は、対向車と二股分岐点から<2>の間ですれ違うことが出来ると判断した結果、時速四〇キロメートルを僅かに減速しただけで進行してすれ違つたのであるが、二股分岐点から<2>の間で車幅二・一メートルと車幅一・三メートルの自動車がすれ違うこと自体は決して許されない交通方法というべきではなく、同所におけるすれ違いの仕方に問題があつたのである。すなわち、本件道路は、未舗装で速度規制はなく、車道と歩道の区別もなく、車道部分と路肩部分の区別も明確になつていない(道路構造令二条一〇及び車両制限令二条七では、「路肩」を「道路の主要構造を保護し、又は車道の効用を保つために、車道、歩道、自転車道又は自転車歩行者道に接続して設けられている帯状の道路の部分をいう」と定義している。)<1>から<2>の間の道路の幅員は三・八メートルであるところ、事故車の幅二・一メートル、対向車の幅一・三メートルであるから、四〇センチメートルのゆとりがあり、安全なすれ違いは可能であつた。

もつとも、車両制限令九条は、「路肩が明らかでない道路」について「路端から車道寄りの〇・五メートルにはみ出してはならない」と定めている。しかしながら、

第一に、同令が禁止する進行方法は、道路交通法が刑事罰を担保として規制している車両の交通方法の中に含まれていないことに鑑みると、同じく法令違反の交通方法であつても、同法一七条ないし二〇条違反の交通方法と「路端から〇・五メートル内に車輪がはみ出した」交通方法とでは、実質的違法という点で質的な差異がある。

第二に、同令九条を理由に、二股分岐点から<2>の間ですれ違うこと自体が違法である((二・一メートル-〇・五メートル)+(一・三メートル-〇・五メートル)=二・四メートル(この数式は、三・八メートル-(〇・五メートル+〇・五メートル)=二・八メートルの誤記と思われる。)で、これでは二・一メートルの車幅の車と一・三メートルの車幅の車がすれ違うことは不可能であるから)とすれば、二股分岐点より東方の道路(四・一五メートルの幅員)ですれ違うことも違法になる((二・一メートル+一・三メートル)>四・一五メートル-(〇・五メートル+〇・五メートル))。しかし、二股分岐点から一一キロメートル浦河町寄りの地点から大樹町方面については、自動車がすれ違うこと自体を禁止する道路標識を設け、同時に一定の間隔を置いてすれ違いのための待避所を設けなければならないにも拘らず、いずれも設けられていない。二股分岐点は、浦河町上杵臼九五二番地の石崎松之助方に至る進入路であり、控訴人北海道が特別に設けた待避所ではない。

第三に、現実に二股分岐点から<2>の間で自動車のすれ違いが行なわれていたのであり、対向車は本件事故車を発見しながら、迷うことなく同所においてすれ違うことが出来ると判断し、減速しないで進行して来たのである。

第四に、宇野は、二股分岐点から<2>の間の路端より〇・五メートル内側を終始通行したのではなく、対向車とすれ違うための僅かの間通行しようとしたものである。

以上の点から考えると、すれ違いのために僅かの間路端より〇・五メートル内側を通行したことは、決して許されないことではなく、これを無謀運転と呼ぶのは失当である。ただ宇野としては、すれ違う際、一時停止して対向車の通過を待つ挙に出るか、または道路左側端との間隔に注意して最徐行し、本件事故車を路外に逸脱させないようにすべき注意義務があつたのにこれを怠り、対向車との間隔を保つことに気を取られて路肩の状況に意を用いず、進行方向左側に寄りながら僅かに減速しただけで進行しようとした点に非難されるべきところがあつたといわなければならない。

3 宇野が、もし二股分岐点から<2>の間がその東方に比べて約〇・三五メートルも狭くなつていること及びその南側部分が勾配約三〇度の斜面で沢に続いていることを知つていたならば、二股分岐点より東方ですれ違うことを考え、一時停止または徐行して対向車の通過を待つたであろう。しかし、右のいずれについても知らなかつたため、同人は、二股分岐点から<2>の間ですれ違うことを決心し、すれ違おうとした際、対向車が余り左に寄らず、減速もしないで進行して来たため、ハンドルをやや左に切りながらすれ違つた直後に左前輪を落輪させたものである。

本件道路は、速度規制がなく、車道と歩道の区別がなく、車道部分と路肩部分の区別も明確にされていない。<1>から<2>の間の道路断面は、中央部にバラスが高くなり、両側に窪みがあり、窪みの両側が高くなり、雑草が生え、両端から約三〇度の勾配の斜面となつて沢へ下つている。道路端の高くなつている部分から南側斜面一帯には、スゲ、ムラサキツメ草、エノコロ草、オオヨモギ、フキ等の雑草が繁茂し、高さは〇・五ないし〇・八メートル位であつた。<1>から<2>の間の南側法面の部分にも同じ雑草が繁茂し、道路端の部分と同じ位の高さで沢まで続いていたため、道路端の部分と道路外の法面との識別が容易でなく、二股分岐点より東方の道路状況を知つている者にとつては、<1>から<2>の間の道路幅が実際より広く見える状況であつた。

本件道路南側部分の道路及び付近一帯の状況をみると、(イ)二股分岐点より約五メートル東方の道路外の部分は平坦地で雑草が繁茂し、その南側は、図面上本件道路南側の最東端に「林」と表示した部分(以下と表示する。)のように林となつており、(ロ)右林が終つた地点より東方の道路外の部分は平坦地で雑草が繁茂し、その南側は田となつており、(ハ)二股分岐点と<2>の間が斜面となつて沢に下つており、(ニ)<2>より西側の南側部分は、図面上<1>から<2>までの本件道路部分の南側に斜面と表示した部分(以下と表示する。)のような斜面ではなく、道路とほぼ同じ高さの平坦地で、鎌田牧場の建物二棟が建つており、(ホ)南側斜面には、電柱(電電公社上杵臼幹一七三左28)があつたので、沢の存在はもちろん、<1>から<2>の間が狭くなつていることを二股分岐点より東方で予め知ることは出来ない状況にあつた。

4 本件事故現場の道路南側が傾斜して低くなつていることを事前に認識することが可能であつたことを窺わせるものとして、透視図及び加来照俊教授の鑑定書が提出されている。

しかしながら、第一に、透視図の作成にあたつて使用された資料(平面図、縦断図、横断図、航空写真)は、本件事故当時における事故現場及び付近一帯の道路状況を正確に反映したものとはいえない。特に、二股分岐点の東方より本件事故現場へ進行して来る場合、<1>から<2>の間の南側部分に対する見通しに極めて重要な影響を与える図面及び図面上<1>点を通り北から南へ本件道路と直角に交叉し、本件道路南端からわずかに南東方に曲つて表示された線上に「灌木」と表示した部分(以下と表示する。)の草木の生育繁茂の状況については、本件事故の発生が七月一五日という最も繁茂する時期であるにも拘らず、一〇月一一日の状況を写した航空写真を使用しているだけである点が致命的な弱点である。また、右基礎資料は、いずれも当法廷に願出されていないので、その真否の確認もされていない。航空写真は僅か二葉で、それがどのようなものかさえ判らず、どのようにして植生考慮を行なつたのかも明らかでない。透視図は、現実に誰が、何時頃、どのようにして作成したか不明である。

第二に、透視図によつて、運転者が沢を予見することが可能であつたとの鑑定結果が出ているが疑問があるのみならず、誤つた判断に至らしめるおそれがある。右鑑定は、「沢が存在すること」を前提として、これと運転者の眼が存在するであろう位置との関係を示したに過ぎない。本件において重要なのは、沢の存在を知らない運転者が、二股分岐点より東方から進行して来た場合、どのあたりで沢の存在に気がつくであろうかである。自動車運転者は、前方注視を続けて進行するのであるが、前方道路の左右の状況については、建物、電柱、木などの動かない物体によつて状況判断するのが通常である。本件では、二股分岐点の東方より進行した場合、に林、に灌木が存し、の西方南側は平坦地で鎌田牧場の建物二棟が存在するために、沢の存在が判りにくく、むしろ二股分岐点より東方の南側と同様の平坦地であると誤認させる要素になつていることが極めて重要である。

第二 新たな証拠関係〔略〕

当事者の主張及び証拠関係(控訴人北海道)

第一 主張

1 本件道路の状況についてみるに、本件事故現場付近の道路は、路体(路肩を含む。)の土質としては最適の礫質土を用いて造成されたものであり、道路の土質は軟弱ではない。また、本件事故以前の昭和四八年六月一二日に路肩部分の草刈りが行なわれた結果、路肩部分の草は短く刈られていたから、車道部分と路肩部分との区別は明確になつていた。そのほか、本件事故の二日前(七月一三日)にモーターグレーダーによる不陸均し(路面の凹凸を平らに修正する作業)を行なつていたので、自動車の進行には何ら支障のない路面状況であつた。路肩に草が生えてはいたが、〇・二ないし〇・三メートルの短いもので、法面の草も高く伸びてはいなかつたから、路肩部分と道路外の法面との識別は容易であつて、道路幅が実際より広く見えることはあり得ない。たとえ、はじめて本件道路を自動車で走行する者であつても、二股分岐点に差しかかる以前に、前方事故現場付近の道路の左側端から南側が傾斜して低くなつていることを容易に認識できたのである。

2 原審検証には、重大な誤りがある。

すなわち、原審の検証は、本件事故から約二年経過した昭和五〇年八月一五日に行なわれたが、右検証当時、本件事故現場及びその付近の道路は、本件事故現場の浦河町寄り二〇メートル地点から東方に向けて二四〇メートルに亘つて改良工事が施行され(二股分岐点付近から東方の道路はほぼ完成し、また二股分岐点から浦河町寄りの道路は函渠設置のため大規模に掘削されている最中であつた。)、本件事故当時の道路状況が全く失なわれていたのである(原審検証調書添付の写真一〇、一六、一七、四三及び四四により明らかである。)。さらに、原審が検証を行なつた場所(原審検証調書三の(六)の場所及び同三の(一〇)の場所)は、いずれも本件事故時に宇野が走行していない道路であつて、本件事故現場の道路とはその状況(路面の有効幅員、植物の繁茂状況等)を別異にしていたのであるから、右各場所の検証結果をもつて本件事故現場の道路を云々することはできない。

特に、本件事故車と当時交差した同種の軽乗用車を用いた交差状況を検証した原審検証調書三の(一〇)の場所は、宇野が走行していない本件事故現場から東方約三〇〇メートルの地点であつて、その場所における道路の有効幅員四・一五メートル(丙第二四号証によれば四・七メートルである。)を宇野が走行した本件事故現場の東方の道路の有効幅員とみなすことは許されない。まして、丙第二四号証によると右検証場所の有効幅員は、四・七メートルであり、その意味においても原審の検証は、その信憑性に欠けるものである。

なお、右検証は、被控訴人吉村松雄ほか三名及び訴外田中牧場が当事者となつている札幌地方裁判所昭和四九年(ワ)第三〇三三号事件で行なわれたものであり、その後、被控訴人吉村松雄ほか三名から昭和五〇年一〇月一日付をもつて控訴人北海道に対し訴が提起されたものであり、検証当時控訴人北海道は当事者となつておらず、何ら関与していないのである。

当審証人佐藤正が「この実況見分調書も私が作成しました。道道浦河大樹線の、本件事故現場付近道路の有効幅員は三・八メートルで現場から東西に通ずる道路の幅員も大体同じです。」と証言していること及び当審証人加来照俊が「透視図を見まして、事故現場の道路が狭くなつているようには見えません。」と証言していることから明らかなばかりでなく、北海道開発コンサルタント株式会社電子計算部部長技術士津田義和が作成した文書(丙第二四号証)及び拡大した航空写真(丙第二五号証)によつても、本件事故当時の本件事故現場の道路の幅員とその東方の道路の幅員は殆んど変りがないことが証明されるのである。また、北海道室蘭土木現業所浦河出張所が本件事故の約三週間後(昭和四八年八月九日)に撮影した本件事故現場の道路の写真及び本件事故の約一年後(昭和四九年八月七日)に撮影した本件事故現場の道路の写真(丙第二六号証の二、三)によつても、本件事故現場の道路の有効幅員は、その東方の道路に比べて狭くなつていないことが明らかである。

以上のとおり、原審の検証は、客観性、具体性を逸した観念的なものであるから、これを根拠とすることは出来ない。

3 前記のとおり、そもそも本件事故現場の道路の幅員がその東方の道路の幅員に比較して狭隘化している事実が存在しないのであるから、道路標識等の設置は、その必要がない。また、道路法(昭和二七年法律第一八〇号)四五条及び道路標識、区画線及び道路標示に関する命令(昭和三五年総理府令・建設省令第三号)二条の別表に掲げる「幅員減少」を表示する道路標識は、車線区分のない道路または三車線以下の道路において、急に幅員が狭くなつているために交通流がしぼられて危険な箇所を予告するために設置されるものである。

従つて、仮りに本件事故現場の道路の有効幅員が三・八メートルでその東方の道路の有効幅員が四・一五メートルであつたとしても、その差は〇・三五メートルであり、これを道路の両側に置き換えてみれば、片側につき約〇・一七メートルの幅員の減少に過ぎず、「急に幅員が狭くなつているために交通流がしぼられて危険な箇所」にはあたらないのであるから、「幅員減少」を表示する道路標識を設置する必要がないことが明らかである。

4 本件事故当時、本件事故車と同種の車を運転して大樹町方面から本件事故現場に向つて西進して来る場合、自動車運転者は、初めて同所を通行する者であつても、二股分岐点に差しかかる以前、すなわち事故現場から三五メートル手前の地点で、前方の本件事故現場付近の道路左側端から南側が傾斜して低くなつていること(従つて、その東方の平坦地と同様の地形で連続した平坦地であるとは見えないこと)を容易に認識出来たことは、本件事故当時の事故現場付近を当時の資料から正確に再現した透視図(丙第一〇号証の二ないし九)及び透視図化業務報告書(同号証の一)、北海道大学工学部教授加来照俊作成の鑑定書(丙第一一号証)、同人の当審における証言から明らかである。宇野は、本件事故当日、事前に本件事故現場付近の道路南側が低くなつている事実を知つていたのであり、宇野がこのような事実を知つた場所は二股分岐点の手前、事故現場からおよそ二七ないし二八メートル手前の地点であつた。

そうであるとすると、本件事故現場付近の道路の左側端から南側が傾斜して低くなつていることは、少くとも二股分岐点の手前(事故現場からおおむね三〇メートル前後)で、通常の運転者には容易に認識することが出来るものであるから、運転者としては、前方に対向車を認めたときは、その負担している注意義務から当然に、二股分岐点のように安全な場所で一時停止をするか、または最徐行をする等、自己の運転する車両がいやしくも自己の認識した道路の端の傾斜して低くなつている部分(その部分が深い沢となつていることまでは認識していなくとも、そこへ自動車が転落すれば、そこで事故が発生することは必然である。)に転落しないよう運転すべきであつて、特別に同所に道路標識等により事前に沢の存在ないし道路が狭隘であることを認識出来る措置を何ら講じないからといつて、本件道路の設置または管理には何ら瑕疵がないというべきである。本件事故発生の原因は、本件事故現場付近について、道路両側が傾斜して低くなつている事実を二股分岐点通過以前に知りながら、スピードを殆んど落さず、あえて対向車と交差しようとした宇野の無謀運転によるものであつて、本件道路の設置または管理の瑕疵によるものでないことは明白である。

5 透視図作成の資料のうち、平面図、縦断図及び横断図は、本件事故現場及びその前後の道路の改良工事を施工する前の道路について、昭和四八年度に行なつた実測調査結果得られたデータに基づき作成したものであり、また航空写真は、昭和四九年一〇月一一日に撮影されたものであるが、撮影当時は本件事故現場の道路の改良工事は施工されておらず、かつ、加来照俊が意見書(丙第一九号証)において述べているとおり、一〇月と七月という時季的なずれはあつても、植物の生育繁茂状態は殆んど差異がないのであるから、右各資料のいずれも本件事故当時(昭和四八年七月一五日)の道路の状況(草木の繁茂状態を含む。)を正確に反映したものである。

以下この点について評述する。

(一) 本件事故現場及びその前後の道路の道路工事の実施状況をみると、昭和四九年度においては、本件事故現場(二、九〇〇メートル地点)から浦河町寄り二、一四〇メートル地点から本件事故現場直近の二、八八〇メートル地点までの延長七四〇メートルの区間(工事施工期間昭和四九年五月二八日から同年七月八日まで)、昭和五〇年度においては、本件事故現場から浦河町寄り二、八八〇メートル地点から大樹町寄り三、一二〇メートル地点までの延長二四〇メートルの区間(工事施工期間昭和五〇年六月二七日から同年九月二五日まで)及び昭和五一年度においては、本件事故現場から大樹町寄り三、一二〇メートル地点から大樹町寄り四、六四〇メートル地点までの延長一、五二〇メートルの区間(工事施工期間昭和五一年五月二六日から同年八月二五日まで)について、それぞれ道路特殊改良第二種工事(以下、改良工事という。)が行なわれているのであるから、本件事故の発生した昭和四八年度中には、本件事故現場及びその前後の道路においては一切の改良工事が行なわれていない。

(二) 次に、透視図の作成に際し資料とした平面図(丙第一七号証の一)、縦断図(丙第一七号証の二)及び横断図(丙第一七号証の三及び四)は、北海道室蘭土木現業所が昭和四九年度及び昭和五一年度において、本件事故現場及びその前後の道路の改良工事を行なうために作成したものであり、その標題部に昭和四九年度または昭和五一年度とあるのは、改良工事の施工年度を示すものであつて、道路の実測調査を行なつた年度を示したものではない。その内容は、昭和四九年度ないし昭和五一年度において本件事故現場及びその前後の道路の改良工事を行なうために、昭和四八年度において行なつた本件事故現場から浦河町寄り一、八四〇メートル地点から大樹町寄り三、二四〇メートル地点までの延長一、四〇〇メートルについての改良工事施工前の道路に関する実測調査の結果得られたデータによる改良工事施工前の道路の線形、幅員、勾配、地盤線等と改良計画道路の線形、幅員、勾配、地盤線等の両方(平面図については、改良工事施工前のもののみ)が図示されているのである。

なお、付言すれば、公共道路事業を実施する場合は、道路工事施工前に工事実施計画の立案が必要であるため、あらかじめ、工事施工の前年度または数年度前に工事施工前の道路の線形、幅員、勾配、地盤線等について実測調査を行ない、この調査結果得られたデータによつて、工事施工年度開始の前に行なう建設省との工法協議用の設計図書、工事施工の各年度当初に行なう建設省に対する予算要求のための認可設計図書及び工事施工のための実施設計図書を作成するのである。本件事故現場及びその前後の道路の改良工事についても例外ではなく、改良工事施工前の道路(透視図作成区間の道路)の実測調査は、前示のとおり昭和四八年度に行なつているものである。

さらに、これらの各設計図書には、工事費の積算の基礎となる必要土量(盛土、切土、流用土等)の計算、その他の必要資材等の積算のために、改良計画道路の線形、幅員、勾配、地盤線等のほか、あらかじめ行なつた改良前の道路の実測調査の結果得られたデータによつて改良前の道路の線形、幅員、勾配、地盤線等も正確に記入されている(図面上には、改良計画道路に関するものについては太線で、改良工事施工前の道路に関するものについては細線で、それぞれ同一測点のものが記入されている。)のである。

(三) 以上のとおり、透視図作成の資料とした前示の平面図、縦断図及び横断図は、昭和四八年度に行なつた改良工事施工前の道路の実測調査の結果得られたデータに基づき作成されたものであり、かつ、この調査を行なつた昭和四八年度中においては一切の改良工事は行なわれていないのであるから、本件事故当時の本件事故現場及びその前後の道路の状況が正確に反映されている。

従つて、透視図は、本件事故当時(道路改良工事着手前)の平面図、縦断図、横断図を基に作成され、植物の生育繁茂状況についても本件事故当時と大差がないのであるから、当時の道路状況を正確に再現したものということができる。

第二 新たな証拠関係〔略〕

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